「ドラゴン桜」のモデル。
2006年3月14日 家族・子育て
だという、
予備校の英語教師、
竹岡広信さん、
という方が出ていた番組を見ていた。
私は、「ドラゴン桜」を全く見てないので、
この竹岡先生がモデルだ、
と言われても、
ピンとこないのだけど。
この人、凄いと、思った。
最初は、ただただ、大量の単語と構文を生徒たちに、暗記させ、
その結果、男子生徒は全滅。
つまり、ひとりとして、合格しなかったらしい。
その経験から、
彼は、教え方を変えた。
人は、「好きなモノは、覚える」
のだから、生徒たちが英語を好きになって、興味を持たせればいいのだと。
確かに。
受験に合格する為に、時間を費やし覚えた知識を、
私は、全て、忘れ去っている。
それは、自分が好きで覚えようとしたことではなく、
ただ、大学に受かる為に必要な知識、だったから。
その為だけに、何年もかかって一所懸命脳に押し込んだだけ、だったのだから。
そう言えば、うちの息子は、私が全く教えずとも、
知らないうちに、カタカナを読めるようになっていた。
まさに、自分が興味を持ったから、だと思う。
周りの子供たちが読めるからと、
無理矢理教えていたことがあったのだけど、
その時は、全く、覚えてくれなかったし。
私も受検経験者。
普通高校で、所謂、進学校だった。
登校して一番最初に入る下駄箱が羅列された廊下には、
昨年の卒業生の受かった大学と合格者、の一覧が張られていて。
二年になると、志望校、を考え。
三年になると、受検の為の授業が始まり、クラスもそれによって、わけられ。
先生たちが口にするのは、県内の高校の成績を比べ、
「この学年の成績は、去年より悪い」
そして、
受験が終われば、○大には何人受かっただの、△大には何人受かっただのと、そんな結果から、
「この学年は、なかなかよかった」
なんて言う。
そんな高校にいて。
将来何になりたいとか、何がしたいとか、明確な夢も理想も何もなかった私は、自分の成績に応じて、受ける課目を選び、志望校を決めた。
そして、共通一次、今のセンター試験が終わると、その点数によって、志望校を再考。
私の選んだ二校だと滑り止めにならないと言われ、私が、それ以外の大学を全く考えていなかった為、母が口にした大学に変えられた。
結果、
自分が選んだ訳ではない、滑り止めとして受けた大学にだけ、合格。
その大学が県内だったこともあり、両親は大喜び。
特に、母親は、その大学の合格が先にわかっていたこともあって、
私が、第一志望の大学に落ちればいいのに、
とまで、言った。
私は、この母親の言葉を忘れることはできない。
あくまでも、自分の理想通りに娘が進むこと、を望んでいて、
私がしたいことを、応援してくれていたわけではないのだと、
思い知った。
そう言われて、思わず泣いてしまった私を、少しだけ哀れむような顔で母は見ていたけど、
その顔は、「泣くことないじゃない…」と言っていたよう。
案の定、そうやって行くことになった大学の授業が楽しいわけがなく。
二年、の前期でとった単位はニ単位だけ。
全く、授業に出ていなかった。
毎日大学に行っていたのは、入っていたサークルの練習をしに行く為。
結果、
不足した単位のしわ寄せが、四年になってやってきて。
就職の内定が決まっていたにも関わらず、卒業が出来なくなった…
ほんと、
振り返ると、何をしに大学に行ったのやら…
結局。
就職した先では、
そこで働くうちに得た知識を活用して、
大学で勉強したこととは全く違う仕事をしていた。
そんなもの、
かも知れないけど。
息子には、私のような行き方、をして欲しくない。
他人の意見に流されず、自分の意志をしっかりと持って欲しい。
そんな息子を、私はちゃんと応援してあげたい、と思う。
それは、
自分の経験から学んだこと、かな…
っと、
何を語っているのやら…
公務員である教師、では、
予備校の教師、である竹岡先生と同じように教えろ、
と言っても、恐らく、無理なんでしょうね…
私の息子も、いよいよ小学校ですが。
最近のお母さん方は、
平気で、先生への不平不満を、喋ります。
それも、子供がいる目の前で。
だから、子供も先生を馬鹿にすることを、言いますよ。
その光景に、私は最初驚きました。
先生の威厳、って今はないんだな〜と。
それだけ、先生が駄目になってる、のかも知れないけど。
子供の前では、禁句だと思うな…
予備校の英語教師、
竹岡広信さん、
という方が出ていた番組を見ていた。
私は、「ドラゴン桜」を全く見てないので、
この竹岡先生がモデルだ、
と言われても、
ピンとこないのだけど。
この人、凄いと、思った。
最初は、ただただ、大量の単語と構文を生徒たちに、暗記させ、
その結果、男子生徒は全滅。
つまり、ひとりとして、合格しなかったらしい。
その経験から、
彼は、教え方を変えた。
人は、「好きなモノは、覚える」
のだから、生徒たちが英語を好きになって、興味を持たせればいいのだと。
確かに。
受験に合格する為に、時間を費やし覚えた知識を、
私は、全て、忘れ去っている。
それは、自分が好きで覚えようとしたことではなく、
ただ、大学に受かる為に必要な知識、だったから。
その為だけに、何年もかかって一所懸命脳に押し込んだだけ、だったのだから。
そう言えば、うちの息子は、私が全く教えずとも、
知らないうちに、カタカナを読めるようになっていた。
まさに、自分が興味を持ったから、だと思う。
周りの子供たちが読めるからと、
無理矢理教えていたことがあったのだけど、
その時は、全く、覚えてくれなかったし。
私も受検経験者。
普通高校で、所謂、進学校だった。
登校して一番最初に入る下駄箱が羅列された廊下には、
昨年の卒業生の受かった大学と合格者、の一覧が張られていて。
二年になると、志望校、を考え。
三年になると、受検の為の授業が始まり、クラスもそれによって、わけられ。
先生たちが口にするのは、県内の高校の成績を比べ、
「この学年の成績は、去年より悪い」
そして、
受験が終われば、○大には何人受かっただの、△大には何人受かっただのと、そんな結果から、
「この学年は、なかなかよかった」
なんて言う。
そんな高校にいて。
将来何になりたいとか、何がしたいとか、明確な夢も理想も何もなかった私は、自分の成績に応じて、受ける課目を選び、志望校を決めた。
そして、共通一次、今のセンター試験が終わると、その点数によって、志望校を再考。
私の選んだ二校だと滑り止めにならないと言われ、私が、それ以外の大学を全く考えていなかった為、母が口にした大学に変えられた。
結果、
自分が選んだ訳ではない、滑り止めとして受けた大学にだけ、合格。
その大学が県内だったこともあり、両親は大喜び。
特に、母親は、その大学の合格が先にわかっていたこともあって、
私が、第一志望の大学に落ちればいいのに、
とまで、言った。
私は、この母親の言葉を忘れることはできない。
あくまでも、自分の理想通りに娘が進むこと、を望んでいて、
私がしたいことを、応援してくれていたわけではないのだと、
思い知った。
そう言われて、思わず泣いてしまった私を、少しだけ哀れむような顔で母は見ていたけど、
その顔は、「泣くことないじゃない…」と言っていたよう。
案の定、そうやって行くことになった大学の授業が楽しいわけがなく。
二年、の前期でとった単位はニ単位だけ。
全く、授業に出ていなかった。
毎日大学に行っていたのは、入っていたサークルの練習をしに行く為。
結果、
不足した単位のしわ寄せが、四年になってやってきて。
就職の内定が決まっていたにも関わらず、卒業が出来なくなった…
ほんと、
振り返ると、何をしに大学に行ったのやら…
結局。
就職した先では、
そこで働くうちに得た知識を活用して、
大学で勉強したこととは全く違う仕事をしていた。
そんなもの、
かも知れないけど。
息子には、私のような行き方、をして欲しくない。
他人の意見に流されず、自分の意志をしっかりと持って欲しい。
そんな息子を、私はちゃんと応援してあげたい、と思う。
それは、
自分の経験から学んだこと、かな…
っと、
何を語っているのやら…
公務員である教師、では、
予備校の教師、である竹岡先生と同じように教えろ、
と言っても、恐らく、無理なんでしょうね…
私の息子も、いよいよ小学校ですが。
最近のお母さん方は、
平気で、先生への不平不満を、喋ります。
それも、子供がいる目の前で。
だから、子供も先生を馬鹿にすることを、言いますよ。
その光景に、私は最初驚きました。
先生の威厳、って今はないんだな〜と。
それだけ、先生が駄目になってる、のかも知れないけど。
子供の前では、禁句だと思うな…
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